2024年4月の講座

「アンデス文明研究における神殿更新論再考」

日 時

 2024年4月13日(土) 13:30~15:30

講 師

 関 雄二(国立民族学博物館名誉教授)

テーマ

「アンデス文明研究における神殿更新論再考」

場 所

 Zoom オンライン形式 ※レコーディング(録音)・引用等は不可

【要旨】

 神殿更新論について、ようやく援護射撃的な論が提示されました。デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ著『万物の黎明』です。この論とラ・カピーヤ遺跡の発掘により、形成期中期社会を考え直す必要性が出てきました。

 

 『万物の黎明』は、建造物のスケールと社会の複雑化の比例関係に疑義を挟んでいる点で「神殿更新論」と共鳴します。私たち東大調査団は、コトシュ遺跡(1960,63,66年)、ワカロマ遺跡(1979~1989年)の発掘から、祭祀建造物は集団の自主的な活動によって実現され、こうした神殿更新を繰り返すことが、労働力の統制、あるいは農業生産への刺激となり、社会の差異化につながった可能性を示唆しました。しかし彼らが建築の増殖過程にとくに興味を示さず、巨大なモニュメントの存在とそこで想定されている人口と生業に関心を寄せて論を展開している点では不満が残ります。近年、神殿更新論をとる研究(Burger and Lucy Salazar 2012)も出てきましたが、関心は低く、むしろメソアメリカで類似の現象が見られ、アグアーダ・フェニックス遺跡で猪俣健先生は、遊動性の高い生活をしていた集団の協働労働による建築活動の存在を想定しています。

 

 「神殿更新」の過程を重視するならば、そのメカニズムとは何か?神殿における宗教的行為は、完成された空間での儀礼だけでなく、前の時期の建物の破壊や残骸の埋め戻し、廃棄自体をも含みます。反復行為は循環的時間観を形成し、埋めるという行為は通時的な過去(直線的時間観)を生成します。ただしこれらの成立は、すべて人間の意図であると考える必要はありません。「神殿更新」は、習慣的な儀礼的廃棄を介して、神殿の規模や形状の変化を促し、図らずも社会内部の差異を生み出した可能性があります。

 

一方で、グレーバーとウェングロウは、「神殿更新論」で欠けていた視点についても次のように言及しています。『「平等」が指す意味は茫漠とし、明快かつ万人が共有する答えがなく、文明の虚飾を全て除去した時に残ると考えられた人類の原形質的な集団性を意味している。』「神殿更新論」では、大規模なモニュメントの前提としての複雑な社会を否定するために、複雑ではない社会を平等社会としてアプリオリに設定し、より複雑な社会への変化を説明しようとしています。現状で、平等社会に代わる概念で、形成期の社会変化をとらえることが可能なのかはなんとも言いがたいです。

 

 『万物の黎明』では、人間集団の、社会のあり方に関する自主的な選択についても語られています。この指摘は、「神殿更新論」を超えた形成期社会全体への見方に整合し、私の研究とも調和します。ワカロマ遺跡とほぼ同時代に成立していた、クントゥル・ワシ遺跡とパコパンパ遺跡では、明確な形での「神殿更新」は認められず、地下式墓、金製品を含む豪華な副葬品など、社会的差異が顕在化していました。それぞれのセンターで集団やリーダーの採用する戦略が異なっていたと考えます。これは彼らの自主的選択論と整合します。しかし彼らがアンデスの事例で引用しているのは、チャビン中心説をとる古典的文献で、これはアンデスの多様性との矛盾であり、残念です。

 

 2022年、パコパンパ考古遺跡複合、ラ・カピーヤ遺跡の発掘で「巻き貝の神官墓」を発見、年代測定の結果、前1442~前1285年、形成期前期でした。2023年、さらに形成期中期の「印章の神官墓」を発見しました。これまで、クントゥル・ワシやパコパンパにおける形成期後期(紀元前800年以降)における金製副葬品を伴う特殊な墓の存在をもって権力の確立としてきました。しかし形成期中期には多様な権力が共存していたと考えられ、ワカロマにあっても、権力者の存在が把握できていないのではないか(墓は神殿中核部には設けられなかった)という疑問が生じています。形成期中期社会を見つめ直す必要があるのではないでしょうか。

(まとめ:大武佐奈恵)