2022年6月の講座

「東大アンデス調査の新地平―ワヌコ盆地の近年の成果」

日 時

 2022年6月18日(土) 13:30~15:00 

講 師

 金崎由布子(東京大学助教)

テーマ

「東大アンデス調査の新地平―ワヌコ盆地の近年の成果」

場 所

 Zoom オンライン形式 ※レコーディング(録音)・引用等は不可

【要旨】

 ペルーの真ん中、アンデス山脈の高いところで、1960年代東京大学が最初に本格的発掘調査を行い、コトシュ遺跡の「交差した手」の神殿のあるところで、土器時代以前にさかのぼって神殿があったとは考えられていませんでした。

 

 ところが、形成期前期(1800~1200年)=土器が使われ始めた時代=ワヌコ盆地ではワヌコ土器がアマゾンの土器の装飾技法の影響を受けていたことが、東京大学の発掘調査で分かってきました。そして、アンデスとアマゾンのフロンティアとしてのワヌコ盆地は特殊な文化を有する地域となりました。

 

 上部アマゾン地域、すなわちペルーアマゾンは太平洋岸アンデス山脈のすそ野を東斜面に下がるあたり、アンデスとアマゾンの接合部分を上部アマゾンと呼びます。アマゾン川の支流が毛細血管のように走っている地域で、その川の近くに村や町が形成されています。

 

 ワヌコ盆地では形成期当初から注目されていた特殊技法、すなわち、アマゾン土器に使われた装飾は見様見真似でできるものではない。直接教えられないとできない装飾であるところから直に交流があったのではないかと考えられます。

 

 ワヌコ形成期(BC1800年から1200年ごろ)にこの標高2000mの高地で交流があったと思われる証拠、中期後期にジャガーなど熱帯の動物の図像があらわれるのも影響を受けた証拠です。また、アマゾンを起源とする食べ物がアンデスに持ち込まれたと言われる代表がキャッサバ(ユカ芋)で、暖かい海岸寄りの北海岸・モチェ文化の土器に模した一例が、アンデス文明に上部アマゾンがかかわっていたことを示しています。

 

 「アマゾンの眉毛地帯」と呼ばれるアンデスの東斜面500~1500mは、アマゾンより少し高い位置を中心に発達した熱帯雲霧林で、この地帯は雨より霧によって植生が育ちます。山がちな景色でアンデスより緑濃い森林地帯であり、そこでアンデスとアマゾンの交流が行われ、気候、植生も全く違う場所、土器の材料も異なるが、アンデスとアマゾンの中間地帯である眉毛地帯が存在することで文化交流の要塞となる重要な場所で、文化が少しずつ浸透していったのではないかと考えられます。

 

 ワヌコ盆地はアマゾンの入り口にかなり近く、緑の部分・U字谷底で、農耕もでき眉毛の西の端にあたる植生豊かな地域です。現在でもアンデスからアマゾンに行く交通の要衝であり、さまざまな地域から人々の往来が盛んで、いろいろな食べ物が市場に集まってきています。昔と同じようにアマゾンのピラニア、太平洋側でとれるカタクチイワシの骨、形成期2000年~3000年ごろ高原から連れて来られた家畜化されていないラクダ科動物の骨などが発掘されています。神殿のお供え物としても飾られています。

 

 アマゾンに由来するデザイン・技術・顔料の使用がアンデスで突然作れるようになるはずもなく、ワヌコの地元の人達とアマゾンの人たちと密接なかかわり・恒常的なやりとりがあったという背景において作れるようになったのではないでしょうか。形成期前期のワヌコ盆地の状況はアンデス文明の中でかなりハードな場所でありながら、形成期には重要な場所であり、アンデス・アマゾン間の交流がアンデス文明にどのような影響を与えたかについて、ここでは東京大学の発掘調査をもとに検証していきます。

(まとめ:捧とも子)