2019年4月の講座

「チャビン問題の最前線」

日 時

 2019年4月20日(土) 14:00~17:00 ★終了しました

講 師

 関 雄二(国立民族学博物館副館長)

テーマ

「チャビン問題の最前線」

場 所

 東京外国語大学本郷サテライト 5階 【アクセス】

【要旨】

 アンデスで農耕定住の後、巨大建造物が造られる形成期という時代、チャビン・デ・ワンタルは形成期文化の中心であったのか?チャビン文化が各地に波及したのか?というチャビン問題を避けて通ることはできません。その解釈はこれまで、チャビンに各地の要素(U字形、円形半地下式広場、サンペドロ、クピスニケ様式土器、カイマンワニ、ワシ、エクアドル産貝)が認められることから、フーリオ・C・テーヨのチャビンが文明起源の地という説、リチャード・バーガーの巡礼地説が踏襲され、ジョン・リックも競合説として、各地にセンターが形成された時代、リーダーがチャビンを宗教的トレーニングセンターとして利用したと考えました。

 

 このようなチャビン中心主義に対して、私と松本先生は最新の調査に基づいて、チャビンと他のセンターとの関係、チャビン現象の周縁としての中央・南高地に注目しました。

 

 松本雄一先生は、アヤクチョ地方のカンパナユック・ルミ遺跡の調査を行いました。カンパナユック・ルミⅠ期では、地下回廊、整った石組みがあり、土器は地方色の強いもの(中央高地、ナスカ、パラカス、クスコ盆地)、黒曜石の産地は、キスピシサの他、アルカなど。Ⅱ期になると黒曜石の産地はさらに広範囲になり、建物の配置はそのままで、土器の図像は著しくチャビン的(ハナバリウタイプ)になりました。金製品も出土し、チャビンの図像にある道具類、幻覚剤の吸引用具も出土しました。これらのことから、カンパナユック・ルミⅠ期では、独自のエリートにより、チャビンの競合的模倣の結果、黒曜石を含む地域間交流が形成されるなど地域のセンターとして機能していた。Ⅱ期になるとチャビンの影響が強くなった。アヤクチョ地方の他の遺跡、アルピリ、トゥクリ、パヤウチャ遺跡でも地下回廊など、前700年頃チャビンの影響が強くなりました。

 

 対して北部カハマルカ地方、パコパンパ遺跡では、ⅠB期(前900~前700年)独自の建築プラン(円形構造物、階段状の部屋の配置、建築軸)により大規模な建築が行われ、ⅡAB期(前700~前400年)土器は変化しましたが建築プランは踏襲されました。地域間交流については、ⅠB期では、クントゥル・ワシ、アマゾン地域の土器の出土など狭い範囲の交流が認められ、Ⅱ期では海岸地方の土器、貝製品、ボリビア産のソーダライト、中央高原の朱など交流は広がっているが、量はクントゥル・ワシ程ではなく、銅製品の生産など独自の特徴があります。デンプン粒の分析で、Ⅰ期の前(パンダンチェ期)にはあったマニオクがⅡ期では消える、など交流の範囲が変化しました。ラクダ科動物の導入についてもパコパンは早くクントゥル・ワシは遅い。チャビンの影響が強まったとされる前700年頃、パコパンパではⅠB期の建築はⅡA期に再利用され、チャビン的な地下回廊等はみられない。社会的記憶の使い方についても、リーダーが出現した時期、パコパンパではⅠB期からⅡA期では継承、政治的に利用しているのに比べ、クントゥル・ワシではイドロ期からクントゥル・ワシ期では隠蔽、全否定がみられます。カハマルカ圏ではチャビンで重要な地下回廊、儀礼を行う空間であり世界観を形成する場所がありません。チャビン・デ・ワンタルとアヤクチョ盆地では、形成期後期にはバーガーのいうチャビン文化圏が存在したのを否定できません。一方、パコパンパやクントゥル・ワシなどのカハマルカ地方では、緩やかなネットワークを形成しているが独立した政体を築いていたと考えられます。現在のチャビンに対する考え方は、より複雑化し、地域の政体の統合的なネットワークが地域ごとに存在し、それが緩やかにまたアヤクチョ圏のように強固に結びついていたと考えられるでしょう。

 

 緻密な発掘と自然科学的な手法を用いて研究を進め、さらに形成期の姿を明らかにしていきたいです。

(まとめ:大武佐奈恵)