2021年9月の講座

「オリエント文明における「中心」の都市と「周辺」の国家」

日 時

 2021年9月20日(月・祝) 13:30~15:00 

講 師

 有松 唯(広島大学准教授)

テーマ

「オリエント文明における「中心」の都市と「周辺」の国家」

場 所

 Zoom オンライン形式 ※レコーディング(録音)・引用等は不可

【要旨】

 「オリエント」とは、考古学で「西アジア」を指し、アジア大陸とアフリカ大陸の結節点に当たり、チグリス川・ユーフラテス川に囲まれた「メソポタミア」及びその東部(イラン)、ナイル川周辺の「エジプト」、地中海東岸の「パレスチナ」・「イスラエル」などを含む地域です。

 今回はオリエントの文明化・都市化時代に重点を置き、古代メソポタミアの南部に発展したシュメール人の代表的な都市国家と、後年にペルシャ人が、オリエント地域を統一したアレクサンドロス帝国アケメネス朝について述べます。

 

 メソポタミア南部には、多数の遺跡がありますが、その中でも代表的な都市は「ウルク」で、規模も大きく、約2万人が居住したと推定され、前4000年紀後半以降急速に発展しました。アヌ地区には石の神殿が建立され、行政地区のエアナ地区では、前5400年~4900年には行政組織の発達と、複雑化が見られます。また、前5100年~4900年には文字が発達し、粘土板に経済文書が記録されました。

 

 次は、メソポタミアの東、ザグロス山脈の東側で、今はイランと呼ばれている地域にあって、前550年頃にオリエント地域をはじめて統一した、古代国家アケメネス朝の話です。アケメネス朝は、初めてオリエント全域を統一する巨大な多民族国家になり、前330年頃滅びました。アケメネス朝の最初の「首都」ヘルセポリスは、イランで最初に世界遺産に登録され、今でも基壇が残っており,基壇の壁には王墓に参列する人々のレリーフが残っています。最後に世界遺産に登録された、より北の「首都」スーサにも立派な宮殿が復元されており、アケメネス朝最盛期の王ダイオレス一世の像が出土しています。

 

 ペルシャの歴史区分は鉄器時代(3000年~2300年前 第1期~第4期)に当たり、アケメネス朝の時代は、鉄器時代の第4期にあたります。鉄器時代の前半には、精緻な工芸品が創られ、物質文化が発達し、特にペルシャ北部の山岳地帯に多くの墓が造られ、墓の中に豪華な工芸品が副葬されました。前半では、住居の遺跡があまり見られません。鉄器時代の後半になると、墓の副葬品は著しく減少し、平均化され、墓自体も簡素化され、700年間持続してきた社会統合システムが崩壊してきたことが分かります。鉄器時代後半には定住生活者が増え、集落の数が多くなり、人口増で平野部の人口が増大し、新造部落には、「オレンジウエア」と呼ぶオレンジの土器が使用されるようになり、生活環境の多様性を越えて、文化的な統一が図られるようになったのです。

(まとめ:田代茂行)