2023年12月の講座

「印章の神官墓の発見」

日 時

 2022年12月16日(土) 13:30~15:00 

講 師

 関 雄二(国立民族学博物館名誉教授)

テーマ

「印章の神官墓の発見」

場 所

 東京外国語大学本郷サテライト(対面方式)

【要旨】

 パコパンパ考古遺跡複合は建築軸を共有するパコパンパ、ラ・ラグーナ、ラ・カピーヤ遺跡からなり、編年は

    パンダンチェ期(前1400年~前1200年)形成期前期、

    パコパンパⅠ期(前1200年~前700年)形成期中期、

    パコパンパⅡ期(前700年~前400年)形成期後期です。

 

 昨年ラ・カピーヤ遺跡でパコパンパⅠ期の建築の調査中「巻き貝の神官墓」を発見しました。遺体は石製、貝製の首飾りや頭飾りで覆われ、20個のストロンブス貝が副葬されていました。年代測定の結果、前1442年~前1285年、形成期前期パンダンチェ期であり、リーダーの存在が形成期前期に遡る可能性がでてきました。

 

 今年の調査では、パコパンパⅠ期の小部屋、階段、水路が確認されました。さらに「巻き貝の神官墓」の直ぐ脇にパンダンチェ期の床面を切り直系5メートル位の大型土壙が、その中にももう一つ小ぶりの土壙、墓が発見されました。人骨は炭化物を多く含む土に覆われ、大量の土器の破片、鉢、3つの印章が出土しました。印章の副葬品はペルーでは初めてとなります。「印章の神官墓」の被葬者は成人男性で足をクロスさせうつ伏せの伸展葬、頭部付近に朱、小型内湾鉢と骨製ピンが発見されました。

 

 層序の整理をすると、パンダンチェ期にまず地下水路が作られ、床面が張られます。その後水路が封鎖され蓋石が壊され「巻き貝の神官墓」が作られます。パコパンパⅠ期に大型土壙を掘り、それを埋め始めたところで一部を掘り返し「印章の神官墓」を設置。その後大型土壙を完全に埋め、その上にさらに盛り土をして床面を張り、開放水路(暗渠)を作ります。暗渠を埋め、床面を張り建物を築き、後に建物の壁石を抜いていました。

 

 大型土壙を掘ってすぐに埋めるという非効率には理由があるはずです。仮説として大型土壙は「巻き貝の神官墓」を探していたのではないか?結局見つからないので、埋め始めた。そこに突然「印章の神官」が亡くなった、と考えるべきではないでしょうか。「巻き貝の神官墓」はパンダンチェ期、「印章の神官墓」はパコパンパⅠ期であり最低約300年の開きがあります。パコパンパⅠ期のリーダーが、過去の力のある人間と自分との関係性を示そうとしたのではないでしょうか。パコパンパ遺跡の「貴婦人の墓」がパコパンパⅠ期の墓を壊して作られていたように過去の人との系譜関係が大事だったのでしょう。

 

 これまで形成期中期(パコパンパⅠ期)では、計画的な建築の配置などから権力者の存在が示唆されていましたが、証拠がありませんでした。今回の墓は、その点を示す明確な証拠です。また形成期中期のパコパンパ遺跡には、墓らしきものはほとんどなく、重要な人物の墓は中核部に設けられなかった可能性が出てきました。形成期中期の社会の複雑さに対するイメージの変換が必要になってくるでしょう。

 

 ではパンダンチェ期とはどのような時代だったのでしょう?形成期前期(前1800年~前1200年)、中央アンデス最古の土器が出現します。高地では小規模集落、西斜面谷間には大型建造物、海岸でも公共建造物が出現します。公共建造物の複雑さや豊かな副葬品を伴う墓の存在からは、社会の複雑化が開始された事が示唆されます。

 

 ラ・カピーヤ遺跡の今年の発掘では、パンダンチェ期の擁壁、大規模な基壇が見つかりました。形成期前期の大規模な建造物や社会内部の差異を示す証拠は、アンデス西斜面においては顕在化するが高地では明確でない、としてきた解釈に変更を迫るものです。来年以降は「巻き貝の神官墓」が作られる直前のパンダンチェ期の床面を広げ、建物を調査し、この擁壁との関係等を調べていきたいと思います。

(まとめ:大武佐奈恵)