2018年5月の定例講座

「モニュメントは権力の象徴なのか―南米アンデス文明の事例を中心に―/先住民運動と文化遺産」

日 時

 2018年5月19日(土) 14:00~17:00 

★講座が4月と入れ替わりました ★終了しました

講 師

 関 雄二(国立民族学博物館教授)

テーマ

「モニュメントは権力の象徴なのか―南米アンデス文明の事例を中心に―/先住民運動と文化遺産」

場 所

 東京外国語大学本郷サテライト 5階 【アクセス】

【要旨】

 ユネスコは、1999年、ユネスコ国際文化観光憲章により文化遺産の保護には観光との共存が必要と大転換し、世界遺産制度も恒久的な建築物から文化的景観(民族、先住民の伝統的自然観や自然の利用も含む)まで対象を拡大してきました。これらは世界的な先住民の権利を回復する運動とも連動しています。考古学も過去、植民地経営や帝国主義的進出を正当化する根拠を提示した反省から「先住民とともに、先住民のために、そして先住民による考古学」先住民考古学が求められました。

 

 先住民考古学は、先住民コミュニティとの関係によって多様な形がありますが、まだ一般的とはいえず、この理由として、住民が主体となる踊りや祭りといった無形遺産に比べ、考古学の扱う有形(歴史)遺産では研究者に知識と技術が偏っていること、新自由主義、グローバル化により、予算の削減から乱開発や放置がされ、学界が内向化(ナショナリズム)していく現実があります。これからは文化遺産の保護から活用に至る先住民考古学の経験を活用してもいいのではないかと思います。

 

 研究面では、2006年頃から形成期の自発的・ボランタリーな社会から国家や権力が生まれる過程へ関心が移りました。ティモシー・アールは、権力をリーダーの支配力、コントロール(統御)を権力資源へのアクセスを制限する能力、権力資源をイデオロギー(宗教)、経済(主生産物、奢侈品)、戦争(軍事)とし、これらが相互依存的な関係にあるとしました。

 

 この視点でみると、後期ワカロマ期はイデオロギーを中心に出来上がった社会、同時代のクントゥル・ワシ期は、イデオロギーへの投資が大きいのは同様でも、イデオロギーに関連した手工芸品、材料へのアクセスなどに社会的な差が顕在化した社会、パコパンパでは祭祀建造物への投資は大きく、社会的差異は大、交易はあるがクントゥル・ワシほどではなく、銅製品の生産が顕著という特徴がありました。形成期社会は、地域差が出てきた社会で、その違いは生存経済によるものというより、交易を主体とする、イデオロギーと結びついた奢侈品経済の発達と関係しています。権力の生成には様々な道筋があり、モニュメントは権力が脆弱でも生み出せる、といえるでしょう。

 

 また神殿更新も再考し始め、実践論を導入しました。形成期社会は神殿という場と神殿を作る、儀礼をするという行為を繰り返す(神殿更新)ことによって社会ができあがっていったのではないか、神殿更新と大量のモノの廃棄は、廃棄行為自体に宗教性があるのではないかと考えました。アンデスのモニュメントは、最初は儀礼としての廃棄行為から始まり、神殿更新となり、それが意図せざる結果として巨大化し、差異化などの社会変化を生み出しました。その中でモニュメントは、権威の象徴というよりも、意図の有無にかかわらず権威を生み出す空間となったのでしょう。

 

 実践論から権力の生成過程をみていくと、パコパンパⅠB期からⅡA期への移行では、元からいた人たちの社会的記憶を利用した支配が、イドロ期からクントゥル・ワシ期では、社会的記憶の隠蔽が考えられ、リーダーがモニュメントをどのように利用するかは、戦略の取り方で変化するといえるでしょう。

 

 人間と物の間では社会的記憶が常に反復的に生まれており、遺跡に対して社会的記憶を作り上げてきた先住民にとっては、精神の礎としての文化遺産があります。それを認めるのはとても大事なことで、考古学自体、対象社会にとっても豊かなものにつながります。多声の文化遺産の解釈が存在するという前提にたった時、先住民考古学は意味がある学問になるのです。

 

(まとめ・大武佐奈恵)