2020年12月の講座

「アンデス文明後期における闘争」

日 時

 2020年12月19日(土) 13:00~14:30 ★終了しました

講 師

 関 雄二(国立民族学博物館教授)

テーマ

「北部ペルーの形成期再考」

場 所

 オンライン開催(Zoom使用)

【要旨】

 日本調査団が集中して調査を行ってきたペルー北部高地の資料に依拠しながら、海岸地帯との関係を中心に、形成期全体の流れを改めて考察します。

 

〈早期(紀元前3000年~紀元前1800年)〉

 ペルー北部、河川沿いの河口近くに神殿が現れてきますが高地ではみられません。海岸では大型建造物(ベンタロン遺跡など)がみられ、西斜面の谷間にも公共建造物(パンパ・デ・モスキート遺跡など)が出現します。アンデス東斜面でもモンテグランデ遺跡など神殿建設活動があったようです。

 

〈前期(紀元前1800年~紀元前1200年)〉

 ペルー最古の土器が出現、高地で小規模な集落が見られ、公共建造物が出始めます(ワカロマ遺跡、セロ・ブランコ遺跡、パンダンチェ遺跡)。海岸では高地に似た初期の土器が制作されますが、遺跡は大きくありません。

 

 谷間には大きな公共建造物(ヘケテペッケ川中流域、ドイツ隊の掘った別のモンテグランデ遺跡、ポルボリン遺跡、ラ・ボンバ遺跡)ができ、これらは複合体を作るなど大型化、複雑化しており、無煙炭製鏡、孔雀石製ビーズ、動物象形壺、など立派な副葬品を伴う墓の出現などから社会の複雑化が示唆されます。

 

〈中期(紀元前1200年~紀元前800年)〉

 ペルー北部では高地、西斜面の谷間、海岸いずれにも大規模な公共建造物が出現し、中部海岸地方でセロ・ブランコ遺跡、ワカ・パルティーダ遺跡、チャビン・デ・ワンタル遺跡等も造られ始めます。南高地アヤクチョではカンパナユック・ルミ遺跡も登場します。

 

 高地のワカロマ遺跡(ワカロマ期)では、巨大な神殿が造られ始め、各地に似た壁画、土器からは、地域間の交流が始まったことを思わせます。クントゥル・ワシ遺跡(イドロ期)も各地似の土器が見られ、ライソン遺跡やポロ・ポロ遺跡など凝灰岩の岩盤を削って造られた特殊な形態の神殿も築かれました。パコパンパ遺跡(ⅠB期)は、階段状建物のU字型配置、円筒形建物など大規模な土地の改変が行われ、各地に似た土器も出土しています。

 

 西斜面の谷間、ラス・ワカス遺跡では広場、基壇がある建築複合、ワカロマ似の土器。海岸に近いリモンカルロ遺跡は建物自体が蜘蛛の表象、更新後にジャガーの表象、ワカロマ、ラス・ワカスに似た土器。ワカ・デ・ロス・レイエス遺跡では、ジャガーの表象、広場の周囲に角柱を多数持つ建物、海岸様式の土器。

 

 海岸のプルレン遺跡でも巨大な神殿、クピスニケ様式の赤色土器。コリュ遺跡の大基壇では壁画、ワカ・ルシーア遺跡でも巨大な神殿が造られました。

 

 中期の総括として、北部では、高地、海岸、谷間の公共建造物や土器には共通性があるが、地域差も存在する。北部地域の交流が活発化していた時期といえます。

 

〈後期(紀元前800年~紀元前250年)〉

 一部の遺跡を除き海岸の大神殿群が放棄されますが、高地では大型建造物が引き続き建設され,谷間も隆盛しています。

 

 クントゥル・ワシ遺跡(KW期)では金製品を伴った墓、北海岸地帯を思わせる鐙形土器、ジャガー人間などの石彫。パコパンパ遺跡(パコパンパⅡ期)では建物の配置は変わらず、土器の文様が動物表象から円紋、二重円紋などに変わり、金製品を伴った墓(貴婦人の墓、ヘビ・ジャガー神官の墓)、石彫、銅製品、鐙形土器が出現します。

 

 古気候の研究から、この時期エル・ニーニョ現象が活発化したことがわかりました。海岸の神殿活動がうまくいかなくなり山の方に移動、そのうちの一つで成立したのがクントゥル・ワシ遺跡。パコパンパもクントゥル・ワシほどではないが影響を受け、共に巨大なセンターを造っていく。同時期のチャビン・デ・ワンタル遺跡も石彫を含む巨大な神殿の建築活動が盛んに行われています。北部地域の発展は、かつてはチャビンからの一方的な影響とみられていましたが、そうではありません。北特有の社会の変化があり、その上にチャビン・デ・ワンタルとの交流が加わってくるといえます。

 

 形成期における北高地、北海岸両地域のセンター間の関係は、時代によって変化します。高地と海岸は常に連動し、密接な交流があり、形成期後期になると、交流の中から高地に拠点が移り、チャビン・デ・ワンタルとの交流が始まります。形成期はこのようにまとめ直す事ができます。

(まとめ:大武佐奈恵)