2021年12月の講座

「アメリカ大陸の古代文明―中米と南米の比較」

日 時

 2021年12月18日(土) 13:30~15:00 

講 師

 関 雄二(国立民族学博物館教授)

テーマ

「アメリカ大陸の古代文明―中米と南米の比較」

場 所

 Zoom オンライン形式 ※レコーディング(録音)・引用等は不可

【要旨】

 アンデスとメソアメリカ(メキシコ中央高原、オアハカ、オルメカ、マヤ地域)の編年を比較すると、アンデスの形成期はメソアメリカの先古典期、地方発展期は古典期、地方王国期は後古典期に対応します。

 

 定住の開始は、後氷期(紀元前10000年~)狩猟採集を経て、アンデスでは前5000年から豊富な海洋資源に依存した漁労定住(パロマ遺跡、チルカ遺跡)、メソアメリカでは先古典期前期、前1800年の農耕定住とされています。

 

 公共建造物の出現は、アンデスでは土器よりも早く、形成期早期(前3000年頃)コトシュ、カラル、セチン・バッホであり、神殿更新も行われていました。神殿更新は、形成期中期まで協同労働で行い、形成期後期(前800年頃)にエリート層が出現し権力が形成され停止します。同時期、石の彫刻が造られるようになり、形成期末期(紀元1年頃)、神殿中心の社会は崩れます。メソアメリカでは、公共建造物は、先古典期前期終わり頃、オルメカ文化(前1400年~)で出現します。巨石人頭像、石製祭壇、赤い宮殿、最初のピラミッド(前800年)。先古典期中期、オアハカ盆地、サポテカ文化(前500年~)、では「踊る人」の石板、サポテカ文字の暦、出来事の記された石板、先古典期末頃には征服石板、球技場が出現します。先古典期中期マヤでは広場やピラミッド型の公共建造物が建造され、先古典期後期には大型のピラミッド、天体観測の施設、暦も作られ、この時期、他の遺跡では碑文、王の姿を表わした壁画など、王、王権の成立が考えられます。『農耕・定住・階層化・公共建造物』という古典的文明論は、アメリカ大陸では適用が困難であり、アンデスとメソアメリカでは社会の発展にかなりの違いがあります。

 

 国家の成立は、アンデスでは、大規模な公共建造物や灌漑水路、工房跡、はっきりとした社会階層を伺える土器の図像や埋葬から地方発展期モチェ(紀元前後~後700年頃)とされます。但し同時代で国家といえるのはモチェだけです。メソアメリカでは古典期、国家が林立します。オアハカ盆地モンテ・アルバン、メキシコ中央高原テオティワカン、マヤ地域のティカル等々。古典期マヤ、前期(後250~後600年、)後期(後600~後800年)終末期(後800~後1000年)ではマヤ文字で暦、王の事績を記し、犠牲を得るため、交易ルートを牛耳るためのエリート間の戦争、都市国家間の抗争を行っていました。アンデスでは王、都市、国家が確認できるのはかなり後ですが、メソアメリカでは国家の林立が早く宗教都市的、王が存在します。

 

 次の時代、都市国家を統合するようなものとして領域国家が現れます。アンデスではワリとティワナク、その崩壊後(紀元後12世紀位)、地方王国期に入ると海岸地帯、シカン/ランバイェケ、チムーでは王、エリート、庶民等の階層の確立がみられます。やがて領域国家はインカに収束します。メソアメリカ、後古典期マヤではチチェン・イツァが、その後マヤパンが勢力を伸ばし、メキシコ中央高原ではトルテカを経てアステカが支配していきます。マヤは個人としての王を描きますが、他の地域では少なく、アンデスでは全くありません。

 

 アメリカ大陸の古代文明は大河がなく成立し、祭祀への投資が大きく、経済基盤で文明を語る灌漑文明論は当てはまりません。ピラミッド、儀礼空間を中心として人が集中し都市ができ社会が発展する、祭祀に基づく社会統合が基礎であり儀礼を司る事によって、王、国家、都市が生まれていきます。アメリカ大陸の古代文明は、宗教的基盤で語り、それが経済的基盤にどう関わっていくのかと語るのがふさわしいでしょう。

(まとめ:大武佐奈恵)