2023年2月の講座

「エル・パルマール王朝史と2022年王宮発掘の成果報告」

日 時

 2022年2月18日(土) 13:30~15:00 

(時差の関係で時間変更の可能性あり)

講 師

 塚本憲一郎(カリフォルニア大学リバーサイド校准教授)

テーマ

「エル・パルマール王朝史と2022年王宮発掘の成果報告」

場 所

 Zoom オンライン形式 ※レコーディング(録音)・引用等は不可

【要旨】

 2022年のエル・パルマール遺跡の発掘報告と得られた知見の講義です。碑文の解読によりエル・パルマール王の称号が判明し、諸王朝との交流も明らかになりました。本講義は、マヤ低地の社会プロセスとエル・パルマール王朝の関係を、碑文解読と発掘により考察します。

 

 マヤ低地では大きな社会変化が数度起きました。後150年頃に大センターが衰退し社会が混乱しましたが、エル・パルマールでは石碑20の碑文が王朝の継続を示しています。

 

 二度目の変化はテオティワカンによる378年の「ラ・エントラダ事変」です。エル・パルマールでは400年以降に巨大な公共広場が整備され、テオティワカンとの交流を示唆する土器が出土し、仮面彫刻を施した王宮が建設されました。

 

 635年に蛇王朝が遷都し、翌年大ユクノーム王が即位すると、マヤ低地の政治勢力が大きく変わり、エル・パルマール王朝は蛇王朝の庇護下に入りました。695年に蛇王朝がティカルに敗北すると、エル・パルマールの石碑にも戦争を示す図像が刻まれます。

 

 800年前後にマヤ低地南部の諸王朝が衰退する中で、エル・パルマール王朝は継続し、884年まで石碑が建立され続けました。しかし、950年頃迄には都市が放棄されたようです。

 

 これらの成果から、エル・パルマールはマヤ低地での数度の社会的混乱を免れ700年以上続いた王朝であったと考えられます。

(まとめ:滝沢 玲)