日 時 |
2018年12月15日(土) 14:00~17:00 ★終了しました |
講 師 |
関 雄二(国立民族学博物館副館長) |
テーマ |
「パコパンパ遺跡調査 2018年概報」 |
場 所 |
東京外国語大学本郷サテライト 5階 【アクセス】 |
今年の目的は、形成期後期にあたるパコパンパⅡ期(紀元前800年~500年)の復元でした。パコパンパ第3基壇上北基壇の三ヶ所のパティオの一つでは以前の発掘で、饗宴などの儀礼の痕跡があり、他のパティオでも同じ機能を持っていたのかどうか確認したいと思いました。
饗宴は三回で、土器の破壊や食べ残しの放置なども行われ、その後の臭いにも意味があると考えています。パティオの東隣には「ヘビ・ジャガー神官の墓」があります。この墓は、鉱物の副葬だけでなく、構造も「パコパンパの貴婦人の墓」と似ています。Ⅱ期の前半、「貴婦人の墓」が神殿を作る途中に設けられ、神殿が完成し儀礼が始まり、広場やパティオが使われ、Ⅱ期の後半、階段の封鎖、アクセスの変更に伴い、パティオでの饗宴と同時期に「ヘビ・ジャガー神官の墓」が作られました。その後、二回の饗宴が同じ季節に行われていました。この二人の関係性については、科博の篠田先生とDNAの分析を行っています。神官の埋葬は貴婦人との関係を強調する狙いがあったのではないでしょうか。
西側の少し大きいパティオを発掘したところ、饗宴の跡はなく、パコパンパでは珍しい水路が見つかりました。この水路はⅡ期に利用され、途中で改築されています。広場は、カハマルカ期になると少し使われただけで埋められ、建物ができ、その周りで何百というミニチュアの土器や人の頭骨(形成期のものを再利用)を置いて儀礼を行った後、すべて埋められています。パティオでも埋められた後、円形の石組みが作られ儀礼が行われました。後の時代の人々にとって神殿はどのようなものであったか、どういう記憶を作り上げようとしていたのか、パコパンパの発掘を通して記憶の問題に関心が高まっています。
四つ目の建造物の保存が完了し、ペルー人の研究者ダニエル・サウセド氏と村人を対象に社会開発プログラム、村の無形遺産のワークショップを行っています。祭、織物、楽団など村人が持っている資源を通じて、遺跡の保存への参加を促す狙いがあります。去年は村の宝物を探し、今年はグループでの討論、情報カードの作成、データベース化など無形遺産の意識化を進め、データの分類、序列化、昔の写真のデジタル化、廃れかけている儀礼や技術の見直しを行い、グループの発表を通じて情報の共有をはかりました。来年はデータベースを利用してプログラムを作り、村人に中高生の学習への参加、ビジターセンターでの展示依頼、などを考えています。データベースは観光に利用できますが、観光で村おこしをするには、持続可能性が大事であり、パコパンパ文化協会を中心に学校、州政府も巻き込んだ社会開発のベースが作れればと思います。
(まとめ:大武佐奈恵)
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から